恣意的幸福 Reasoning
10月27日 水曜日
「幸福」という意味を考えたい。
日本国憲法第13条
『幸福追求権』
「幸福追求に対する国民の権利は、最大の尊重を必要とする。」
読んでそのままの通り、
(公共の福祉に反しない限り)幸福を追求することが最大限できるということだ
そうか、誰でも幸せになれる権利があるのか、
と無理にでも納得しようとすればできるかもしれないが
形のないものには理解がとても難しい。
一体なにが「幸せ」なんだろうか。
たとえば、いま幸せじゃないと感じたとする。(一点ではなくある一定期間)
物質(お金、高級品)
対人(親友、恋人、家族)
自分自身(地位、立場、精神、障がい)
などたくさんあるだろう。
それはつまり自分にとって腑に落ちないことがあるからだ。
心が満足していないのである。
これが正しいならば逆のことも言えるだろう。
限界効用価値説のように心が満足すれば幸福、ということだ。
すべて幸せじゃない原因は、精神的な部分に依存し、自分で決めるのだ。
一方、幸せかどうかを考えるのは上の例の通り、外から何かを提示されたときである。
また他人と比べたときほど、感じやすい。
あの人は、暮らし向きが良い、だとか
あの人は、素敵な夫婦生活を送っている、だとか
あの人は、人脈に富んでいる、などだ。
つまり、外からの影響を受けたとき、幸せという意味に触れるのだ。
幸せというものははすべて自身の心に依存しているはずなのに
他人に影響によってでしか知ることができない。
よく人は、満足のいってない人Aに対してこのように言う。
「お前は幸せだ。ほかの人を見てみろ。どう比べてもお前のほうが幸せだろ。」
そんなとき、その人と比べて恵まれていない人Bを例に出す。
幸せって自分自身の精神の満足度なのに
他人と比べて自分のほうが幸せだなんて、比べる対象が違うと思うのだ。
・・・、と書いたのは10月11日のことである。
大事な節目に人生の幸せなんて書こうとしたのがおかしい。
わかったようなフリをして偉そうにズラズラと書いたが、
こんなこと言いたいわけじゃない。
僕は嘘つきだ。
今までこんなに嘘をついてきたからバチが当たったんだと思う。
僕は今まで脅えながら生きてきた。そして今も。
最近、耐えられなくなってきた。
もう辛いよ。
普通の人間として生きてきた。真面目に生きてきた。
他人を不幸に貶めるような犯罪なんて一切やってない。
なのにどうしてこんなに重たい荷物を持たなければならないの。
こんな日が来るなんて、結構早かったな。
10/27/2010 12:29 AM
気分が悪くなった日 One’s dignity
10月3日 日曜日
想像する。
どんな思いで生きてきたか。
どんな思いで前を向いたか。
どんな思いで一時に溺れたか。
どんな思いで背を向けたか。
どんな思いで最期を迎えたか。
本当に、世の中は変わっただろうか。
手に取るように身近になったから
「自分はわかってる、理解してる」と思えるのかもしれない。
華やかで気軽に生きてるような姿を目にするかもしれない。
時々、自分だってそう思うこともある。
生きていくには、その方法しかないというのも正しいだろう。
だからこそ、そんな気持ちになる。
しかし多数派はそれのほうが断然に多いはずだ。
手元に寄せてみることが出来ないから、
他の人にとっては想像でしかないから、
こんなにズレを感じるのだ。
まるでひとり、取り残されたように。
勝手な想像だから
すべてをこの問題に繋げるのは早計だとは思うが、
事実としてある以上、避けては通れない。
もし、1つでも要素が違うものであったり
欠けてたりしていたら、こんなことは起こらなかっただろうか。
いや、そんなこと問うても不毛だ。
人の尊厳を甘く見たからに他ならない。
だからこんな事件が起きたのだ。
私は、絶対に許さない。
結局、恐怖は目の前にある。
誰でも、どこでも、同じと見るのは良いことではないが
前に進めない壁をまた一つ、世の中に作ってしまった。
みんなにわかってほしいとは思いながらも
わかるわけないという思いも捨てることが出来ず混乱する。
矛盾する。場合によっては我侭と思われる。
そのジレンマに耐え切れなくなったとき、最後の道を選ぶ。
その選択を誰が責めることができよう。
周りにいる人たちさえも見えなくなってしまうほどの、
辛さ・悲しさ・情けなさ。
そのジレンマが無くなることは、恐らく一生無い。
でも、少しでも和らぐことが出来たらどんなに幸せか。
自分は、生きていくために、その勢力と戦わなければならない。
でも、大丈夫。必ず味方がいるから。
ご冥福を祈る。そしてあなたのためにも生きる。
10/3/2010 12:23 AM
源氏物語からまねぶこと True Yamato Damashi
10月1日 金曜日
こんばんは!
まったく更新しませんでしたがとりあえず元気にやってます
気が付くと、
何人かはskypeをやり始め
何人かはtwitterをやり始め
何人かはアメブロをやり始め・・・
こうやってネットの面白さを体験し始める人が増えてきてすごくうれしい!
こんなのときを心待ちにしてたんだもの
小さいころから、その辺りには詳しいほうだったから
みんなに勧めたくてうずうずしてたけど
「興味ない」とかなんとかでどうしようもできなかったな
やってる人は教えてね、登録しちゃうよ!
この前、ある人がこんなことをいってました。
「すべてではないが、俺には特別な満月があるんだ。
それを一人で眺めるとなんか心が震えだして共鳴するんだ。」
中秋の名月は特にそうらしいです。
この前、その前日に言いました。
この人のあだ名は、「宇宙人」
そんなこと言うから宇宙人呼ばわりされるんだと、誰もが思ったでしょう。
僕もそう思いました。
共鳴って形の無いものだし、実際にあるかどうかもわかりません。
しかも共鳴したところで、何があるんだ、何がわかるんだという話になります。
しかし、この前、それを何となくですが感じたことがありました。
そう、僕にとっての共鳴したものは、源氏物語だったのです。
源氏が自分の子供「夕霧」の元服に際して、教育方針を語る
という「少女」の巻にある一部分です。
夕霧の元服の際に、位の高い官位を渡すのではなく
まず学問の道に付いて才を身につけさせたいという考えを
源氏自身の体験と世の中の現状を通して、心に決めたというお話なんですが
この「源氏自身の体験と世の中の現状」がものすごく深いのです。
源氏はこう語ります。
自分は、宮中で生まれて漢の書物など読むこともできたし、立派な父の下で
いろいろなことを教えてもらえたという贅沢な環境だったのにも関わらず
世間のことをよく知らず、ものごとに対する広い心も無かったから
どうすることもできなかったということ。
そしてこんな情けない親で子供が立派に育つということは滅多にないことだから
将来の子孫を考えるにつけても不安でどうしようもないということ。
世の中には、身分の高い家で生まれた子供が努力をしなくとも
高い位をもらって驕っているが、それは一瞬の栄光だけで跡形もなく消えてしまい
後には人から侮辱されてしまうのが世の中の流れだということ。
だから、私は、夕霧に学問に通わせることにより
これからの日本を担ってもらうために「大和魂」を身につけさたいのだ、と。
僕はこの上2行を聞いた時に、心が振るえあがったのです。
感動に近いんだろうけど、微妙に違うんです。
こんなに突き刺さる思想って、すごいと思いませんか?
源氏物語って1000年ごろに作り上げた文学ですよ。
現代とまったく変わらない普遍的な思想がこの時代から残されているのです。
やっぱり紫式部ってすごい!
この「大和魂」
現代では、日本人には”底力がある”とか”力強い”などといった意味で使われるけど
本当の意味は違うのです。
日本には残念ながら中国やヨーロッパと違って
独自の文化をゼロから作り上げる国ではありませんでした。
科学といったものや、宗教も。
そういうと、日本が劣っているのかと思うかもしれませんが、そうではありません。
日本には文化を取り入れて
自分たちの国にぴったりと合うように変えていく応用力があるのです。
自分たちのカラーに変えることができるです。
そのような知恵や才能を「大和魂」というのです。
それは、西洋では絶対にできないことだと思います。
この応用力って、とても大事なことだと思うんです。
突き詰めていくと、洞察力ともいえるのではないでしょうか。
人間が生きていくためには、是非を区別していかなければなりません。
身勝手に区別したところで混沌はますます増すばかり。
だから、その是非を区別するには、知恵と才覚を基にして
複雑に絡み合っているこの世の中を上手く見極めることが大事なポイントだと思います。
自分にはこの大和魂が欠如しているのです、ホント。
きっとその強く強くほしがっているこの力が
心を震わせ、共鳴させたのでしょう。
妙に納得しちゃいました。
昔の人の経験を今に役立てられることって、こういうことだと思うんですよね。
紫式部が熱い思いで、このように語ってくれているのだから
信用していいはずです。同じ日本人なのですから。
この思うようにうまくいかない世の中だからこそ
学問を身に付けて大和魂を育ててこれからの日本を担っていくことが
私たちがしなければならない、そして見つめなければならない問題なのではないでしょうか。
そう、だから勉強がんばる!笑
明日は久しぶりのお休み!だからこんな遅くまでかかってしまった!
では、おやすみ。
10/1/2010 2:44 AM






