「触れる」の先 nerd
更新したいのに、このところ文章が書けない。
ごめんなさい。
社会復帰して3カ月が経とうとしている。
友達もたくさんできたし、おもしろい講義もたくさん受けたし、経験豊富な先生とも数多く出会った。
そう、自分以外の「人」に触れることができている。
今まで、「考える」力を養ってこなかったから
レポートを書くのにも一苦労で日々プレッシャーになる。
こうやってブログを書いていても文章は一向にうまくならないから
作文を書くのにも訂正がいっぱい入る。
かっこよくプレゼンしてやろう、とか
”独創的”なアイデアをだしてやろう、とか
空想の野望だけが先走る。
結果は、帰りの電車で自己嫌悪に陥る日々。
質が悪いことに、いい成績をとりたいという負けず嫌い精神は相変わらずで
がんばろうという思いが強くなるほど、空回りする。
周りの人だって大きく見える。感化されたいという気持ちは大いにある。
例えば、レディーガガは自分の理想だ。
歌や歌唱力は言うまでもない。
評価はともかく、独自の芸術的センスは輝いているし
エイズ問題やセクシャリティ問題、そして今回の大震災の問題でも
率先して行動している。
言っていることも、かっこいい。
説得力がある。
それが策略なのか、偽善なのかだなんてどうでもいい。
言うべきことを言える人間、それが彼女だ。
今日も初めてレディーガガが出演するVMAJに参加した。
人生初の生レディーガガだ。目の前で見れたことには神様に感謝するしかない。
あの感動をしっかり目に焼き付けた、きっと忘れないだろう。
あの声の力には震えるものがあった。
「上手い」という意味ではない。人をmoveさせる力だ。
彼女はこのようなことを言っている。
「私は決して多くのものを持って生まれてきたわけじゃない。
今の自分になるまで多く努力してきたし、戦ってきた。
どうか未来に夢を持つ大事さを感じ取ってほしい。」
努力・・・。自分の嫌いな言葉だ。
いや違う。努力できない、していない自分が嫌いなのかもしれない。
それを「努力」という言葉のせいにして嫌っているのだ。
でもこの言葉には、さすがの自分も動かされる。
かっこいいし、説得力があるし、生き方のお手本のようだ。
彼女は人間の手本だといっているわけでない。
一人の人間として生を全うしている言葉なのだ。
自分の尊敬している人がそういう風に言うのだから
信じることの勇気を持つことが出来るのではないかと思う。
話を戻そう。
こうやって自分は色々な他人に触れて、「考え」を見ることができるようになった。
他人の考えを大いに影響させる。場合によっては潰されることだってある。
あまり良い思いはしないけれど、仕方がない、これも大事なことと思っている。
その連続が「自分」を浮き彫りにする。
「自分は性格がひねくれている」という実証になるのだ。
他人とコミュニケーションがうまくとれない。
社会不適合者と言われてもおかしくない。
現実を見るのが怖いし、辛い。
高校生のころからこんなだったのか。
今はもう影が濃くなった過去を見つめる。
今まであった傷口をこの4年間でさらに悪化させてしまったらしい。
これを治すためには・・・どうするべきか。いつになったら治せるのか。
そうか、努力しかないのか・・・。
Comments are closed.







