これでいいはず You inspired me

英会話を習い始めて2回目。

まだまだ、3人称単数のsをつけ忘れたり、時制を間違えたりと
初歩的な間違いばかりで恥ずかしい思いはするけれども
英語を話そうという気持ちが目で見える。
がんばって英語で表現してみようという気持ちが表れている気がするのだ。
それが、とても心地良く、楽しく感じる。
これでいいのだ。この調子で前に進めば。

今は、難しい表現を学ぼうというよりは、初歩的な質問を
どれだけ早く流暢に答えられるかという訓練をしている。
いつ、どこで、だれと、なんのために、ほかには?というように一つずつ細かく聞くことなんて
普段の会話には滅多にないと思う。それに不自然でもあろう。
だが、不自然な会話云々言う前にまず答えられなければ意味がない。
だから、ちゃんと答えられる訓練が必要なのだ。

簡単な質問に答えているだけだが、答えている自分が微笑ましく感じる。
あ、英語で答えているじゃん、というように。
この繰り返しが、上達への道なんだろうな。
初めてこんな風に感じたかもしれない。こんなに英語勉強してきたけれども。

初めてのレッスンの時、中学生が同じ席にいた。
彼女は英語が非常に上手くて、流暢で、単語も一杯知っていて。
あまりのショックさにくじけそうにもなったが、彼女も一生懸命努力したはずだ。
自分も、同じように努力すれば彼女のようになれる。
そんなポジティブな考え方をしている自分が気持ち悪いくらいだ。
あんなに卑屈だった、あの自分が。
自分だけではなく、みんなと一緒に上達するという気持ちが、とても清々しい。
自分だけ出来なかったら・・・と、不安になることもあるが
それはそれでいいはずだ。それが自分の実力。
あとは、向上するだけなんだから。

今、やれることを今やろう。
恥ずかしがる必要なんてない。
考え過ぎちゃいけない。
自分が好きなこと、大事なことをやろう!

もう振り返る必要はない。前を向くことだけを考えて。
絶対にやり遂げる!後悔なんてしちゃいけないんだ。

ありがとう。君のおかげだ!
Thanks to you, I can do and walk again.

8/12/2011 1:22 AM

去る者と残される者 The Testament

こんばんは。更新してませんでした。
ブログ代だけ無駄に払っているだけです。
でもそのくらいは自分のためにお金を掛けてもいいと思っています。

夏休みに入りました。
学校があるときは考えずに済んだこと、つまり意識下に意図的に隠しておいたことが
今になって急にぶり返してきました。夏休みって怖い。
だけど、今回の夏休みは違うものにしたい。
チャンスと向き合いながら自分らしくやりたいことをやろう。
前を向けばかならずいいことがあるはず。
本気で英語をがんばろうと思う。

自分を触発してくれる人は身近にいるし、夢を応援してくれる場所もある。
もちろん、そのために支援をしてくれる人たちだっている。
その人達のために頑張れることができるのなら、それは大した幸せだ。
プレッシャーとか不安とか、いつも最後は自分との戦いになる。
こんなにもチャンスが恵まれているのに(ある人は、”奇跡”と言った)
全て、無駄にしてきた。今もし続けていると思う。
だから少しでも食い止める努力をするときが来た。
ここまできてやっとわかった。遅すぎるけど。
本当に不安だ。んん、不安というよりは恐怖だ。
でもその恐怖と一生付き合うよ。これが今まで自分が学んだこと。

もう真実ってのは目の前にあるものだから。
昔は、違う!違う!って言い聞かせてた。
それは、本当の答えを知るのが怖かったからだと思う。
だけど、ここまでくるときっと否定できない。
真実はもう見えてる、だからそれにちゃんと向き合わないといけない。
たとえ、それが将来的に自分を傷つけるようなことであっても。

とにかくそれとうまく付き合えるように頑張ろう。

死なないようにするってそういうこと。
生きることってそういうこと。

最近、本当に多いよ。”死”を感じることが。
今年は、ものすごく”死”について考える。
ニュージーランドや日本の震災で亡くなった人々、
ノルウェーのテロと乱射事件で亡くなった人々、
中国の高速鉄道衝突事故で亡くなった人々
大きな事件・事故だけの話ではない。

殺人だってそう。
病死だってそう。
自殺だってそう。

人はなぜ死ぬのかなんて考えるのは馬鹿らしいけど
自分は、特別”死”に執着しているような気がする。

たぶんそれは、恐ろしいからだと思うんだけど
だからこそ、執着してしまうんだ。

自分の意見として、”自殺はしてもいいんじゃないか”って思っている。
なぜなら、その人が生きてる世界が本当に辛くて、それが死にも勝るのであれば
それは仕方がないことでどのような選択をしてもいいと思っている。

そんなこと言っている自分は、全く、残される側の気持ちは考えていない。
でも残される側の気持ちを考える余裕のある人は自殺なんてしない。
それさえも出来なくなるくらいの辛さに押しつぶされた結果がこの行為だと思うのだ。

ただ、死んだ後、そのままの意識を持ったまま
この世界を眺めてみたい。

どんな光景があるだろうか。
それをできないことが”死という全てだ”ということも分かっているんだけれども。

8/6/2011 1:02 AM