去る者と残される者 The Testament
こんばんは。更新してませんでした。
ブログ代だけ無駄に払っているだけです。
でもそのくらいは自分のためにお金を掛けてもいいと思っています。
夏休みに入りました。
学校があるときは考えずに済んだこと、つまり意識下に意図的に隠しておいたことが
今になって急にぶり返してきました。夏休みって怖い。
だけど、今回の夏休みは違うものにしたい。
チャンスと向き合いながら自分らしくやりたいことをやろう。
前を向けばかならずいいことがあるはず。
本気で英語をがんばろうと思う。
自分を触発してくれる人は身近にいるし、夢を応援してくれる場所もある。
もちろん、そのために支援をしてくれる人たちだっている。
その人達のために頑張れることができるのなら、それは大した幸せだ。
プレッシャーとか不安とか、いつも最後は自分との戦いになる。
こんなにもチャンスが恵まれているのに(ある人は、”奇跡”と言った)
全て、無駄にしてきた。今もし続けていると思う。
だから少しでも食い止める努力をするときが来た。
ここまできてやっとわかった。遅すぎるけど。
本当に不安だ。んん、不安というよりは恐怖だ。
でもその恐怖と一生付き合うよ。これが今まで自分が学んだこと。
もう真実ってのは目の前にあるものだから。
昔は、違う!違う!って言い聞かせてた。
それは、本当の答えを知るのが怖かったからだと思う。
だけど、ここまでくるときっと否定できない。
真実はもう見えてる、だからそれにちゃんと向き合わないといけない。
たとえ、それが将来的に自分を傷つけるようなことであっても。
とにかくそれとうまく付き合えるように頑張ろう。
死なないようにするってそういうこと。
生きることってそういうこと。
最近、本当に多いよ。”死”を感じることが。
今年は、ものすごく”死”について考える。
ニュージーランドや日本の震災で亡くなった人々、
ノルウェーのテロと乱射事件で亡くなった人々、
中国の高速鉄道衝突事故で亡くなった人々
大きな事件・事故だけの話ではない。
殺人だってそう。
病死だってそう。
自殺だってそう。
人はなぜ死ぬのかなんて考えるのは馬鹿らしいけど
自分は、特別”死”に執着しているような気がする。
たぶんそれは、恐ろしいからだと思うんだけど
だからこそ、執着してしまうんだ。
自分の意見として、”自殺はしてもいいんじゃないか”って思っている。
なぜなら、その人が生きてる世界が本当に辛くて、それが死にも勝るのであれば
それは仕方がないことでどのような選択をしてもいいと思っている。
そんなこと言っている自分は、全く、残される側の気持ちは考えていない。
でも残される側の気持ちを考える余裕のある人は自殺なんてしない。
それさえも出来なくなるくらいの辛さに押しつぶされた結果がこの行為だと思うのだ。
ただ、死んだ後、そのままの意識を持ったまま
この世界を眺めてみたい。
どんな光景があるだろうか。
それをできないことが”死という全てだ”ということも分かっているんだけれども。
Comments are closed.






